埼大生はお好きですか?

「埼玉大学とは?」 こう訊かれたら、皆は何と答えるだろう。周りには娯楽の何一つもない大学。最寄駅でさえ歩いて25分だ。大学の入り口は謎のオブジェがそびえ立つ。世間的には”中堅”大学。 そう、この大学には”色”がないのだ。 「埼玉大学に、もし色をつけるなら‥。」 そんなことに思いを馳せる愉快痛快奇々怪々な埼大生が、今宵も呟きという名の筆を用いて、キャンパスという名のキャンバスに描く‥。

いじめを克服するために

みなさんこんにちは!kannkitiです。 早速ですが質問です。皆さんは、道徳の授業というと何を思い浮かべますか?私は、真っ先にがんこちゃんを思い出します。小学一年生だった時、学校の道徳の授業でよく見せられていた記憶があります。

今日は皆さんにこのがんこちゃんの魅力を紹介しに来たわけではありません。今回はいじめ問題を克服するためにはどうしたらいいのか、そういう内容をお話します。


さて、全く解決することのないいじめの問題。どうしてなくならないのか。もしかすると、私たちが学んできた道徳そのものに問題があるのではないでしょうか。そこで、今までの道徳教育のどこに問題があったか見ていきましょう。


まずは、こちらをご覧ください。

              

これは、イソップ童話の『おおかみと少年』です。噓つき少年が助けを求めても、誰も助けてくれなかったという内容なのですが、ここでの話の伝えたいこととは何か。道徳の授業ではこの物語を通して、うそをついてはいけない、悪いことをしてきたのだからしょうがない、と理解させるところでしょう。

 
しかし本当にうそをつくことがよくないことなのでしょうか。


もしかしたらこの子供は、普段誰からも相手にされていない寂しい子で、周りに注目されたくてうそをついたかもしれない。そう考えると、オオカミに襲われた少年を、ただうそをついたから、といって悪と決めつけること、これはできないはずです。
例えば、先のがんこちゃんの世界観を知っている方いらっしゃいますか?実はがんこちゃんの世界は、環境汚染により人間が絶滅した後の世界なのです。このように、しばしば物事の背景というのは結果からは想像もつかないものであることは少なくはないでしょう。

 

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特に上のデータにあるように日本人は、与えられた情報に対する信頼が大きいためにそれを鵜呑みにしてしまい、情報が本当かどうかをあまり考えない傾向にあることが分かってきます。ですから、結果や与えられていることばかりに執着しないで、目に見えない相手の事情などを考えるべきなのです。特に私たち日本人は。そしてそれが思いやりにつながるのでしょう。

 

ところで思いやりというと、今までの道徳教育で言われてきましたね。では、なぜ相手を思いやることを説いてもなおいじめは克服されないのか。これをご覧ください。

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日本国民の自己肯定感を示すデータです。ここから分かるように、日本人は自己肯定が得意ではないのです。


問いましょう。自己肯定できない人間が、他人の生を肯定できますか。自分を大切な存在だと思えない人間が、他人を大切にできますか。


おそらくそれは難しいでしょう。ですから、自分を大切にすること、これは自己中心的であり道徳的ではない、ということではありません。自分を大切にする自己尊厳の思いを持つことが、特に日本人においては重要なのです。

まとめるとこうなります。今までの道徳教育の問題は、自己肯定感を否定することで、思いやりが育たず、結果として他者の事情や背景を考えることをやめてしまい、結果だけを見て判断しがちになってしまった、というところにあるのでしょう。私たちが目指すべきなのは、自己肯定感、自己尊厳に根差した思いやりを身に着けるところにあることが分かりますね。

 

ここで注意すべきは、どこまでも思いやりを持つための自己肯定感であり自己尊厳です。自己尊厳だけ立派で、他者への思いやりがないのは、本末転倒であることをお忘れなきを。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。参考文献を載せておきますので、ぜひこちらの本も手に取ってみてください。

 

参考にさせてもらった本

いじめ・レイシズムを乗り越える「道徳」教育

いじめ・レイシズムを乗り越える「道徳」教育

 

 

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